PRIDE男祭り 小川VS吉田
去年実現していたら完璧だったのだが、贅沢はいうまい。黄金カードが実現と報道された。過去の因縁、それぞれのGPでの実績、話題性は十分だし、勝負論としても実力拮抗で面白くなるのではないか。
だが、榊原社長は報知新聞のすっぱ抜きに怒り、このカードが流れることを示唆している。
http://gbring.com/sokuho/news/2005_11/1111_pride.htm
こういう時の榊原社長の物言いというのは、非常に興味深い。谷川氏などよりも遥かに巧妙で、イメージを守ることにこだわっている。ヒョードル、ホイスの契約問題を今さら持ち出すまでもなかろうが、とにかく自社のイメージを守り、ファンの反感を買わずによそを悪者に仕立て上げることに長けている。今回も、情報の漏泄元などには触れず、一方的に報知新聞を非難し、流れた場合の責任を押しかぶせようとしている。
「事態は完全に後ろへ向かって進んでいます」
「7〜9割決まりかけていたものが、実現するかどうか五分五分まで落ちてしまった」
ここらへんの言葉の使い方が面白い。一見、方向や数字を持ち出して具体的に言っているように思えても、実は本当に具体的なことは何も言っていない。関係者でもない限り、この「五分五分」の真偽を確かめるすべはない。ぶっちゃけた話、報道を待つまでもなく流れかけていたとしても、それは我々にはわかりはしないのだ。
格闘技を見ていて「つまらなくなったなあ」と最も感じるのが、この契約やらオファーやらの話を聞いた時である。黙ってカードを差し出す作業に専念してくれればそれでいいのに。裏の生臭い話など聞かせてもらわなくて結構なのである。
「窓口としてのDSEの信頼が失墜した」
などということよりも、本当に恐れているのは「(K−1と違って)ファンの夢のカードを実現させるPRIDE」という、近年築いて来たイメージに傷がつくことだろう。格好をつけているように見えてファンに媚を売っている姿勢は、国民を煽って力を増してきた小泉首相にも通じるものがありますな。
実際のところ、報道されてしまえばファンはその実現を具体的な話として望むわけだし、運営側はこれによって何とでも実現しなければならないところへ追い込まれたことになる。この報道さえなければ、仮に実現しなかったとしても「すいません」ですむところだが、情報がもれたことで、本来受ける受けないを自由に裁量できたはずの選手側にも有形無形の圧力がかかることになってしまった。
吉田ないし小川が、このオファーを受けるかどうかは、体調や勝算、ファイトマネーを考慮して本人が決めることである。仮に受けなかったとしても、何も非難されるいわれはないと思う。だが、こうして情報がもれたことで対戦を強要するような流れが出来るとしたら残念なことだ。
個人的に「ファンの要望」なんてものに大した価値はないと思う。運営側がそれをかなえることに固執する理由は、はっきり言ってまったくないと考える。今年最も熱かったミルコ対ヒョードルも、それに匹敵するカードである五味対マッハも、ファンが要望したから組まれたのではないのだ。それはタイトルを巡る流れの中で、必然として組まれたカードなのである。
小川対吉田は見たい。だが、これは所詮、過去の因縁を餌にお祭り要素で組まれたカードであり、実現しなければならない必然は何もない、ということを忘れてはならない。カビの生えた昔の話を持ち出されていつまでも桜庭戦を強要され、挙げ句に「逃げた」などと叩かれる田村も気の毒なことだ。「赤いパンツの頑固者」という言われ方も、非常に戯画化されていて、田村個人の心情や事情など斟酌せずに、単純化しようとする意図が透けて見える。引き立て役も憎まれ役も御免こうむる……こういうことでも、本人が決めたからには立派な受けない理由なのである。たかがファンが、とやかく言うべきことではない。
ファンが「見たい」と思うのはいい。だが、なぜ「見たい」かは考える必要がある。
運営側が「ファンが見たいと言ってます」といって選手にオファーするのはいい。だが、オファーの前にそれが自らの運営する競技の流れに合致するか考えるべきだ。
どちらにしろ、選手に対して「これだけのファンとマスコミの要望があるから「試合をするべき」です」なんてことは絶対に言ってはならない。そこのところを取り違えてはならない。
この問題に決着がつくまで、あとどれだけかかるかはわからないが、小川、吉田、両者の決断を見守りたい。
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